浮き玉墓場の弁天崎からの帰り道、礫浜の上に30センチほども堆積した漂着物をチェックしながら歩きました。
こんな浜では、稀に浮き玉もあるので、ちょっとは期待していたのですが見つからず、あるのはプラ玉ばかり。
そして漂着物のほとんどが漁業用品や日用品などのプラスチックゴミでした。その中にはハリセンボンの死体が混じり、異臭を放っていました。
そんなゴミが堆積した場所から、ふと目を向けた先は、ホルンフェルスや花崗岩の礫が混じったあたりに小さな木像がありました。
全長が17センチほどの木像は、波にもまれ礫や砂で磨かれ、何とか顔の表情は読めるものの、欠けて失われた部分もありましたが、みごとな漂着仏でした。
わたしが最初に漂着物と出会ったのは、子供の頃でしたが、漂着物にのめりこんだきっかけは、石井先生の「新編・漂着物事典」に出会った1999年の春でした。
その前から石井先生の著作の中で気になっていたのが漂着仏でした。先生のしゃれっ気が、漂着物と仏をかけ合わせ「漂着仏」となったのでしょう。
じつはわたし、モダマや浮き玉を探すふりをしながら、ず~っと漂着仏を探していたのですよ。やっとめぐり合えた漂着仏さまでした。