今年の徳島で行われた漂着物学会の研究発表で、会長の中西先生の発表がありました。その演題は「シナアブラギリの種子-カントンアブラギリの種子は漂着しているのか?」と言うものでした。その要旨は、シナアブラギリは1果実中の種子数に変異があり、それにより種子の形態も違っている。1果実中の種子数と種子との形態の関連を調べた結果、カントンアブラギリの漂着種子とされてきたものは、シナアブラギリの種子の高いことが明らかにされた。と言うものでした。
下の写真は、左がこれまでシナアブラギリ、右がこれまでカントンアブラギリとして紹介してきたものです。
このカントンアブラギリの漂着種子については、オレが言い出しっぺですので、そのいきさつを紹介させてもらいます。
2010年ごろ、古書で明永久次郎著・「油桐」(河出書房1945刊行)を手に入れました。これには油桐による灯油の歴史から、植栽など詳しく書かれたもので、当然種子の図も明示されていました。下に示したのはシナアブラギリの果実と種子で、一つの果実の中に5個の種子が入っているものです。
当時、漂着した種子しか知らず、実際にシナアブラギリの果実を見たことが無かったので、植栽してある場所を探しました。すると身近な名古屋市東山植物園にあることが分かり、秋に落下していた果実をいくつか拾ってきて確認したところ、どれにも5個の種子が入っており、シナアブラギリの種子の形が分かりました。
ところがシナアブラギリの種子とされたものに、もっと丸っこい形のものがありましたが、「油桐」を見ていたら、それにそっくりなものはカントンアブラギリとなっていました。下に示したのはカントンアブラギリの種子です。
この図をよりどころにして、漂着した種子を縦長で中央の稜のハッキリしたものをシナアブラギリ、円形で中央の稜の目立たないものをカントンアブラギリとして使い分けていました。オレのブログでは2010年の秋ごろからカントンアブラギリとして扱い、尚さんが執筆された「草木の種子と果実」に漂着種子を提供したときもシナアブラギリとカントンアブラギリとを分けて提供し、掲載されました。
ただ、漂着種子をシナアブラギリとカントンアブラギリとに分類しても、その中間タイプがかなりあり、それをどっちにするのか?と言うのは悩ましいことでした。
そして徳島での発表があり、なるほど!と思ったのですが、中西先生の提示されたPPTの図では説明が不足しているように思ったので、これはもう一度自分で再確認しなければと、シナアブラギリを探すことにしました。中西先生の発表では、果実の生育状態が良くないシナアブラギリは、果実内での種子数が減り、それが丸いタイプの種子となると言う説明がありましたので、そんな果実を探したのです。
公園に植栽されたものは条件も良かったのか5個の種子が入ったものばかりでしたので、明永久次郎著・「油桐」で紹介されていた福井県若狭町で探すことにしました。そして若狭町の北斜面に植えられていたシナアブラギリを探し出しました。
そして、この木の下には多くのシナアブラギリの果実が落下していました。
落下していた果実を集め、大きなものから矮小化したものまで15個ほどの果実を拾い集めました。そして果実を割って種子を確認したところ、最も小さな果実には2個の種子が、大きな果実では5個の種子が入っていました。
それらの種子を洗い出し、果肉をしっかり取り除いたら、上の写真のようになりました。中西先生の発表されたように果実の中の種子が少ないものは、「カントンアブラギリ」として紹介した丸いタイプのシナアブラギリでした。
2010年からこの秋までに、オレがブログや、漂着物学会・会報どんぶらこ、それに漂着物学会誌で、「カントンアブラギリ」としたものは、シナアブラギリでしたので、ここで訂正させていただきます。 発表していただいた中西先生、ありがとうございました。