ちょっと暖かくなり、最高気温が20度以上になる日も出てきました。黄色はタンポポや菜の花に代表されるように、暖かい春のイメージがありますね。
甲楽城の礫浜に黄色のマーカーペンが漂着していました。「使う前によく振ってください・・・」と、ハングルと英語で記されていましたので、きっとこれはペイントマーカーでしょうね。このペンは残念ながら蓋が無かったので、乾いてしまい書くことはできませんでしたが、韓国からやってくるマーカー類の多くは、使えるものが多いのです。(笑)
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みなさん、甲楽城って読めますか?福井の人は読めると思いますが、他県の方々には難しい読みでしょうね。オレもず~っと「こうらくじょう」って思っていましたもの。
甲楽城と書いて、「かぶらぎ」と読みます。なぜか福井にはこうした読みにくい地名の宝庫です。(笑)
さて、甲楽城の漁港近くの礫浜には多くのプラゴミに混じってハリセンボンがいくつか漂着していました。今回の浜歩き、越前から若狭への間で、ハリセンボンはあちこちで見られました。石川県南部でも多くの漂着があったようですし、今がシーズンなのかもしれませんね。
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三里浜砂丘、雨でそんなに歩けなかったので、そのまま越廼まで南下しました。トイレ脇のPに車を停め浜に出てみましたが、ここでもプラモノの多さが際立っていました。
汀あたりに目を向ければ、細かく砕けた発泡スチレン片などが、波とともに行ったり来たり・・・もう悲しくなるだけの惨状です。細かくなるだけで分解することの無いプラスチック類・・・このプラスチックの海に生きる魚や越前蟹を私たちは喜んで食っているのですね。
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小丹生まで来たので、アシを伸ばして三里浜まで行ってきました。
三里浜についた頃には雨!それも北西の風が強かったので、そんなに歩ける様子ではありませんでした。いつもの入り口から備蓄基地を見たのがこれ。軽いプラ浮きやプラスチック製品は風に飛ばされて砂丘一面に広がっていました。
漂着物は多く、斜度の強い場所でも、プラモノが漂着物帯を作っており、プラスチックの多さに辟易。この様子で蔓延するプラゴミは、どこまで増え続けるのでしょうか?
三里浜は九頭竜川河口から西に向かいおよそ三里・10kmほどの広大な浜がありましたが、1970年頃からの開発により、砂浜の半分以上が備蓄基地やら工業団地となってしまいました。開発が行われる前の三里浜、冬の漂着もプラスチックなどの無い寂れた景色が延々と続いていたそうです。タイムマシンでもあれば、ぜひその頃の三里浜でも見たいものです。
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小丹生にある弁慶の洗濯岩を訪れましたが、目的のミンククジラの痕跡(臭いも含め)は見つからなかったので、礫浜を少し歩いてきました。
礫浜にあったのは、ペットボトルやプラゴミがほとんどでした。そんな中に一つカエル浮きがありました。見慣れたものですが、キレイな色の塗られた板切れがあったのでその前でパシャリ!(笑)
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