この夏、名古屋はとても暑い夏でした。そして9月に入ると集中豪雨があり、水禍にみまわれた地域が東海地方でもあちこちでありました。
そんな中、何度も聞いた地名は大垣市です。大垣市は昭和50年代初めに水禍にみまわれ、今では
ハザードマップなども作り、災害に備えている場所ですが、地形はどうにもなりません。何せ縄文海進の頃には伊勢湾がグッと奥深く入り込み、潮の満ち引きのあった場所ですから。
堀切に漂着していたのは大垣駅近くにある病院の診察券。最近の診察券は樹脂製なので水に浮き、丈夫なのでプリントもハッキリしたままです。きっとこれは9月4日の大雨によって流出したものでしょうが、堀切の漂着物の中には、こうした近場の漂着物が数多くありました。濃尾平野の奥にある岐阜県の大垣市から、木曽三川のいずれかを通って、伊勢湾に注ぎ込み、伊勢湾の中をプカプカ南へ、そして伊良湖水道を抜けやってきたのですね。
上からも下からも