昭和37年(1962)、漁業補償が解決し、翌年から臨海工業地帯の埋め立てが始まりました。
この写真は昭和38年1月(1963)に撮影されたものだそうです。
長浦から日長崎まで海岸線が一直線にならんでいますが、長浦ではすでに埋め立てが始まり、サンドパイプが設置されています。
日長の海岸では、まだ海苔粗朶が立っています。
こうした海岸線の先が日長崎で、古くから張り出した崎を、舟路の目当にしてきました。
かっては熱田の宮から、知多半島に沿って航行する場合、日長崎そして南の鬼崎を目印にしていましたが、そんな時代ではなくなったのでしょうね。