わたしの住んでいる名古屋近郊では、陶磁器のことを「せともの」と言います。
これは近くに、瀬戸、東濃といった陶磁器産地があり、身近だったのでそう名づけられたものでしょう。
そんなわけで陶磁器を売っているお店は、「せともの屋」と呼ばれていました。
わたしのビーチコーミングの日本海側にあるフィールドの福井県・越前のある地域では、陶磁器のことを「からつもん」とよんでいたそうです。
実際、古文書に残された、天保6年の伊万里焼出荷高を比べると、越前が5500俵あるのに対して尾張では1500俵しかありません。
日長崎でも、身近に手に入る「せともの」が転がっています。
18世紀末から19世紀初めにかけて、瀬戸ではこのような染め付け陶器が焼かれました。
一部の窯では磁器も作られるようになってきましたが、伊万里の模様などを真似た陶器がたくさん作られました。
そんな中でこの染め付けは上手の方で、つけたて筆で描かれた図柄は躍動感のあるものです。
この瀬戸焼陶片の高台は、蛇の目高台になっています。